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オーディオブランド探求 ~Sonus faber~


Electa Amator

ソナス・ファベールはイタリア北部のヴェネト州ヴィチェンツァで、木工職人で歯科技工士のフランコ・セルブリンが1983年に興したスピーカーメーカーです。
ヴィチェンツァは「陸のヴェネツィア」と呼ばれているようで、ヴェネツィアから西へ60㎞ほどの距離で、さらに西に100㎞ほど行くとバイオリンをはじめとした楽器製造で有名なクレモナがあります。

ソナス・ファベールを一躍有名にしたのは1988年に発売したエレクタ・アマトール(Electa Amator)でした。フランコ・セルブリンが試行錯誤の上、到達した奇跡のエンクロージャーはブラジリアンローズウッド(ハカランダ)という高級木材の無垢材を張り合わせて、響きのコントロールを施して、バッフル面には本革を貼り反射を抑えるという独自の手法は恐ろしく手間のかかる工程ながら、その仕上がりの美しさと豊かな響きを伴って、「良く歌うスピーカー」として世界的な注目を集めました。実はこのスピーカーに最初に惚れ込んだのは日本人でした。1987年、ミラノでのオーディオショーにソナス・ファベールが初出展した際に日本の輸入商社ノアの野田頴克社長がエレクタというスピーカーを見つけサンプルを仕入れます。その時にはこの改良モデルのエレクタ・アマトールとミニマの開発が進行中だったため、エレクタ・アマトールの完成を待って日本で展開をしたところ大反響を呼びます。結果的にイタリアよりも先にブレークしたとのことです。

Guarnri Homage 

その後、1991年にエレクタ・アマトールのジュニア版のミニマ(Minima)、エレクタ・アマトールの背面にパッシブラジエーターを付けてオーディオ的に進化させたハイエンドモデルのエクストリーマ(Extrema)を発売して、1993年にガルネリ・オマージュ(Guarnri Homage)を開発します。

ヴィチェンツァはクレモナから近いこともあって、フランコ・セルブリンはクレモナの楽器職人と親交があったものと思われます。この美しいスピーカーシステムの開発のために、彼等からバイオリンの製造技術に関心を持ち、その手法を徹底的に学びました。
古楽器のリュートのような洋梨型のエンクロージャーはウォルナット、メイプル、ライムウッドなど42ピースのソリッドウッドで構成され、16世紀のバイオリン職人が使ったニカワと熱圧着技術により接着され組み立てられています。表面に塗られたニスもバイオリン製造と同様のものが使われ、何層にもわたって塗られた後、表面は手磨きで鏡面処理されています。スピーカーユニットはデンマーク製で140㎜ポリプロピレンウーハーと54㎜シルクドームツイーターの2ウェイ構成で、ツイーターユニットはソリッドメイプルから削りだしたチャンバーに収められています。そしてもう一つの特徴はスピーカーバッフル面とスタンド表面に張られたゴム系素材のストリングスです。その後ソナス・ファベールのアイコンとなるこのサランネットは、このガルネリ・オマージュで最初に使われました。
このガルネリ・オマージュの印象をオーディオ評論家の菅野沖彦氏はステレオサウンド112号の記事の冒頭でこのように表現しています。
「美しい。ただ見ているだけでもいい・・・。」
オーディオ機器としてのスピーカーシステムを美術工芸品にまで昇華させたガルネリ・オマージュは、その後に続くクレモナの楽器職人への敬意と憧憬を具現化したオマージュシリーズとしてつながっていくことになります。
ここでクレモナのバイオリン職人の系譜をたどってみましょう。
そもそも弓で弦を引く楽器の起源は、イスラム圏が発祥と言われています。8世紀ごろ、北アフリカのイスラム系民族ムーア人によって、バイオリンの起源となる楽器がスペインに伝えられたとされています。16世紀初め頃からイタリアのクレモナで楽器製造が始まったようで、現代のバイオリンの形態で最初に誕生させたのはアンドレア・アマティ(1505–1577)と言われています。その孫のニコロ・アマティ(1596–1684)はアマティ家の中で一番優秀な製作者と言われています。ニコロは60 歳を超えた晩年になると、一族の築いてきたクレモナの栄光のために尽力すると共に,「親族の者でない見習いを工房に置かない」というアマティ一族の慣習を破り、同時代のバイオリンの製作者への卓絶した親方と して、アントニオ・ストラディヴァリ、アンドレア・グァルネリをはじめ、最高の技術を持った弟子を育て上げたとされています。

このニコロ・アマティの直弟子がアンドレア・ガルネリ(1623-1698)です。ガルネリは1652年に独立して工房を構えます。その作品は緻密さというよりは彫刻的な力強さに特徴があったようです。ガルネリは生涯で250本のバイオリンを作成しました。後年最高の評価を得たのはアンドレアの孫のバルトロメオ・ジュゼッペ・ガルネリ(通称ガルネリ・デル・ジェス、1698– 1744)です。1730 年から 1744 年までがデル・ジェスの全盛期で、この時期に「クレモナのバイオリン の美しさとブレッシアのバイオリンの力強さを混ぜ合わせて、ひとつの魔法のような統合と成し遂げ」、ストラディヴァリを超えるとも言われる名器を一挙に製作しました。ガルネリ・オマージュはこのガルネリ・デル・ジェスに敬意を表して製作されました。

アントニオ・ストラディヴァリ(1648?–1737)は裕福な家系に生まれて、極めて完成度の高い楽器を製作し,生涯3,000本の楽器を製作したと言われています。1690 年まではアマティの楽器を製作していたが、その中で 1670 年頃 からは自分の名前を記したラベルを残しています。ストラディヴァリは、各国の王族・貴族の依頼を 受け最高な楽器を作り続けたために、裕福な暮らしをしたことで知られていますが、「いつ見ても同じ仕事着をつけており、これを脱いだことがなく、年中熱心に楽器ばかり作り続けていた」と言われるように真面目な職人だったようです。特に 1700 年から 1716 年がストラディヴァリの黄金時代と言われています。
(イタリア弦楽器工房の歴史 ―クレモナの黄金時代を中心に― 大木裕子 著より)


Amati Homage

そして1998年、オマージュシリーズの第2作としてアマティ・オマージュ(Amati Homage)を完成させます。今回は現代バイオリンの創始者と言われているクレモナ派のアンドレア・アマティに敬意を表して製作されました。本モデルはガルネリ・オマージュと同じようにリュート型のエンクロージャーをまとっていますが、スピーカースタンドレスのトールボーイタイプで、18㎝ダブルウーハーの3ウェイモデルです。ダブルウーハー4スピーカーシステムということと、エンクロージャー容積も大きくなっていますので、ガルネリ・オマージュよりも低音域の量感が増して、オーケストラも量感豊かに響きます。また今回のエンクロージャーはメイプル材のみで構成されていますが、硬度の違う板を特殊な接着剤で張り合わせて響きのコントロールをするという手の込んだ手法を取り入れています。内部のブレーシングや鉛や銅、特殊なフォーム材を張るのも響きのコントロールのためとのことです。表面の仕上げは赤みの強い「ドラゴン・ブラッド」という植物性のラッカー仕上げで、7層のサーフェス・フィニッシュが入念な手磨きによって深い艶が生まれています。

Stradivari Homage

そして2004年、ついにそのスピーカーが姿を現しました。「ガルネリ」「アマティ」とバイオリン製作者のオマージュモデルをリリースしてきたフランコ・セルブリンが、いつかは作りたいと思いをはせてきたストラディバリ・オマージュ(Stradivari Homage)が6年の歳月を費やして完成いたしました。
このストラディバリ・オマージュは大方の予想を裏切って、実にユニークな形状をしております。バッフル面が狭くて奥に長いリュート型のシェイプから一転、奥行が狭くて横幅の広いフォルムは思いもよらぬフォルムといっていいでしょう。しかしここにはバイオリンの表板(ハーモニック・プレーン)にヒントを得た無限大バッフル的形状のフォルムとなり、ソナス・ファベール社では「仮想無限大バッフル方式」と呼んでいます。複数の板材を密度・材質・木目と1枚1枚最適化を図り、ダンピング材を挿入して積層するという非常に手間のかかる方法で作られるエンクロージャーには、アントニオ・ストラディバリ秘伝のラッカーで仕上げられているとのことです。ユニット構成はアルミマグネシウム合金の26㎝ウーハー2発の3ウェイシステムですが、ウーハー部とスコーカー・ツイーター部は独立したキャビネットに収められていて、スコーカーとウーハーはリアにバスレフポートがあります。この幅広のバッフル面のおかげで、スピーカーの周りの空間にあまり左右されず、スピーカーセッティングはさほど気を使わずに、このシステムが持っている低域から高域までの混然一体となる音楽の生々しさと実在感あふれるスケール感を味わえる存在となりました。

このオマージュシリーズでソナス・ファベールは一つの頂点を迎えました。その後アマティはアマティ・アニバーサリオ → アマティ・フトゥーラ → アマティ・トラディション、ガルネリはガルネリ・メメント → ガルネリ・エヴォリューション → ガルネリ・トラディションへと進化しましたが、ストラディバリ・オマージュだけはオリジナルのままで、生産完了となりました。それだけオリジナルモデルの完成度が高かったということなのでしょう。

Accordo

フランコ・セルブリンはエリプサ(Elipsa)の設計を最後に、2006年に自らが興したソナス・ファベール社を去ります。その理由は定かでありませんが、会社が大きくなっていくにつれ自分の意志や希望だけでスピーカーの開発ができなくなったからではないかと言われています。確かにこの人は発想の着眼点が独自で、スピーカーのエンクロージャーに楽器的な響きの要素を加味して、工業製品としてではなく芸術作品としてのスピーカーを目指してきました。その思いはさらに強くなって、原点に戻って小さな工房で自分の納得のいく作品を作りたくなったのではないでしょうか。

そして構想を練ること4年、2010年に自身の工房「スタジオ・フランコ・セルブリン」を設立します。フランコ74歳での新たなる旅立ちです。相棒はフランコの娘婿のマッシミリアーノ・ファヴェッラで、ソナス・ファベール時代からフランコを補佐してきた愛弟子です。
この工房での第1作は「クテマ(普遍)」(Ktema)というフロアスタンディングスピーカーです。フロントが狭く後ろが広いという変わったデザインですが、そこにはフランコ独自のキャビネットデザインがありました。翌年、早くも第2作目の「アッコルド」(Accordo)が発売になりました。アッコルドは小型2ウェイスピーカーとスタンドの構成で、かつてのエレクタ・アマトールを彷彿とさせるものがありますが、かなり洗練されたデザインとなっています。

LEGNEA

残念ながらフランコ・セルブリンは、2013年3月31日に76歳の生涯を閉じてしまって、アッコルドが彼の遺作となってしまいましたが、スタジオ・フランコ・セルブリンはマッシミリアーノの手により製品開発と生産を続けております。
フランコはスピーカー製作のアイディアを大量のスケッチで残しており、そのアイディアをマッシミリアーノ・ファヴェッラが具現化して製品としたのが、小型スピーカーの「リネア」(LIGNEA)です。工房の立ち上げの時からスピーカーのアイディアと設計はフランコが行って、実際の組み上げや製作などはマッシミリアーノが行っておりましたので、フランコの製品にかける思いは確実に引き継がれております。そのマッシミリアーノが師匠のフランコへのオマージュとして、設計から製作まで手掛けた作品が今年発売の「アッコルド・エッセンス」(Accord Essence)で最新作となります。

ソナス・ファベールも昨年エレクタ・アマトールⅢ、そして今年ミニマ・アマトールⅡとフランコ・セルブリンの代名詞ともいうべき2機種の現代版を登場させました。それほどこの創業者の作り出した製品は35年経った今でもオーディオファイルを引き付ける魅力があるという現実に驚かされます。ソナス・ファベールもフランコのスピーカー哲学をベースとしながらも、新しい発想と素材で魅力的なスピーカーを今後も作り出していくことでしょう。
そしてフランコ・セルブリンという類まれなスピーカー製作者の溢れるほどのアイディアと情熱は、愛弟子のマッシミリアーノ・ファヴェッラに確実に受け継がれています。そして今後のスタジオ・フランコ・セルブリンの製品もフランコの熱い思いと共に、これからも長く続いていってほしいと心から願っております。