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オーディオブランド探求 ~McIntosh~


オーディオファンやジャズファンならば、「JAZZを聴くならJBLのスピーカーとマッキントッシュのアンプだね」などと言われるくらいマッキントッシュは高級オーディオの分野では名が通っています。

ゴードン・ガウ(左)とフランク・マッキントッシュ(右)

フランク・H・マッキントッシュは、当時ワシントンDCでラジオ局のサウンドシステムの設計コンサルタントの仕事をしており、ハイパワーで歪の少ないアンプを必要としていたが、既存の製品では性能が及ばないため、自分で開発しようと1946年にMcIntosh and Ingles (Engles)という会社を設立します。この時期にエンジニアのゴードン・ガウを迎え入れて新しいアンプの製作に入ります。ゴードン・ガウは、戦時中はアメリカ空軍の通信技師で、戦後はその技術を生かした仕事をしたいと思っていたようです。
ゴードンは1946年に画期的な「マッキントッシュ・サーキット」という独創的な回路を考案して特許申請をして49年にパテントを得ています。そして1951年、ニューヨーク州ビンガムトンに拠点を移して、McIntosh Laboratory Inc.と社名を変更しました。現在も本社はこちらにあります。この頃に大学の新卒として入社してきたのがシドニー・コードマンです。彼はMIT(マサチューセッツ工科大学)卒業の秀才で、その後ゴードン・ガウの片腕として同社の機器の設計をしていくことになります。

50W-2

マッキントッシュ初のアンプが、1949年に発表された50W-1です。ユニティ・カップルド出力回路、1次線と2次線をパラレルにして同時に巻いていくバイファイラー・バランスド・シンメトリックによる、いわゆるバイファイラー巻きトランスを採用している管球式モノーラル・パワーアンプです。50Wを超えるハイパワー、さらに20~20,000Hzの可聴帯域において歪み率1%以下というスペックは、当時のオーディオ機器の中では驚異的なパフォーマンスであった。そして、50W-1は各国のスタジオ・エンジニアたちから絶賛され、1951年発売の後継機50W-2でマッキントッシュはその地位を確立します。50W-2は、50W-1と異なり、電源部と出力部が2つに分かれています。そして、トランスは底部に納めてパラフィンで密閉したトランスカバーそのものがシャーシを兼ねる特異な構造をしています。出力管は6L6Gプッシュプル、ドライバーには6J5のプッシュプルを採用しています。

McIntosh Red

マッキントッシュ社は老舗のオーディオメーカーですが、よくアップル社のパソコンのマッキントッシュ(MAC)と混同されましたが、実は全く関係がないことはないようです。よく見るとアップル社のマッキントッシュはスペルがMacIntoshで間にaが入っていますMacIntoshの名前の由来はリンゴのMcIntosh redから来ていて、日本名では「旭」という品種で割と一般的な品種のようです。この品種のリンゴが好きだったのが、当時アップル社の開発チームに所属していたジェフ・ラスキンで、彼の開発するパーソナルコンピューターにその名前を付けようと思いつきました。しかし当時(1979年)マッキントッシュ社はもうすでに存在しており、そこでランスキンはMとcの間にaを入れたMacIntoshとするアイディアを当時の会長に進言して、オーディオのマッキントッシュ社に名前の使用許可と承認を得ました。こんな逸話もマッキントッシュ社の大人の対応が垣間見れます。

MC-2000

McIntoshのアンプと言えば、何といっても漆黒のブラックグラスパネルに映えるブルーアイズメーターでしょう。マッキントッシュ・ラボラトリーという会社は機器の設計や製造から出荷まですべて自社の本社工場で行っているようで、こうしたデザインも外注ではなく、社内にデザインセクションがあり、若手のデザイナー達が腕を振るっています。このパネルデザインもゴードン・ガウが飛行機から見たニューヨークの夜景をモチーフにしたといわれています。ゴードン氏のデザインのこだわりは、長年交流のあったレコーディングエンジニアでありオーディオ評論家の故菅野沖彦氏のゴードン氏へのインタビューの中で雄弁に語っています。

「おれはデザインについてこう思うんだ。デザインは思いつきや感覚だけで出来るものではないと。最も大切なのはリアリティだよ。君がおれのアンプをきれいだと言ってくれるのは大変うれしい。もちろん、きれいじゃなくては困るんだけど、一番必要なことは、絶対に必然性だ。機械としてのね。
 そこで、アンプの場合には何が最も必要かという事になるのだが、アンプは音楽を聴くためのものだ。音楽を聴く場合には、音楽を聴く人のエモーショナル・レスポンス・フォー・ミュージック──音楽に対する情緒的反応──これが生命だと思う。だからアンプは、エモーショナル・レスポンス・フォー・ミュージックというものを持つべきで、これを大切にしなくてはいけない。そのために何が最もふさわしいかなのだが、おれはそれに対し、イルミネーションが最もふさわしいものだと考えたわけだ。」

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ・マッキントッシュ」(1976年発行)「マッキントッシュ論」より

MC2152

菅野氏とゴードン氏は評論家とメーカーエンジニア(社長)の関係を超えて、お互い親友と呼び合うほど本当に気の合う友人であったようです。音元出版のウェブサイト、ファイルウェブの回想録「菅野沖彦ピュアオーディオへの誘い」の中で下記のようにおっしゃっています。

「付加価値ばかりで、やたらに価格の高いブランドは、個人的に好きではありません。存在は認めますがね。私としてはその付加価値と値段のバランスも大切だと思うし、音質、性能の高さ、そしてユニークさ、アイデンティティのある商品が理想と考えています。その結果がマッキントッシュだったのです。そして、実際にフランク・マッキントッシュ氏とゴードン・ガウ氏に会って、このような人達が作る製品なら信頼に足る、という思いをより強くしたわけです。実を言うと2、3年迷っていましたが、1970年を過ぎた頃から、はっきりとマッキントッシュを私の理想の機器として使っていくことに決めました。今日に至るまで、揣摩憶測をいう人も多かったと思いますが、私は、創業者時代のマッキントッシュの姿勢を理想と考えてきましたし、今でも、例え古いと言われようとも、この考えは全く変わることがありません。」

また菅野氏は、その後1990年に日本のカーオーディオメーカー「クラリオン」がマッキントッシュを買収した件に関して、多額の投資をして、分厚いガラスをきれいに穴あけするために高額なウォータージェットマシーンを導入して、重量級パワーアンプのグラスパネル加工を可能にしたという話をしておりました。単なる利益優先の買収だけではなく憧れと敬意を持っていたとの裏話もしておりました。

McIntosh 本社

その後マッキントッシュは2003年に日本のD&Mホールディングに買収され、マッキントッシュ・ジャパンを設立して輸入・保守を行っていましたが、2012年にSounus faberなどを傘下に持つイタリアの持ち株会社ファインサウンズが買収します。その時点で日本の輸入代理店業務はエレクトリに戻されました。その後2014年にファインサウンズからMcIntosh Groupへと社名変更して現在に至ります。

会社の経営権の移転は激しいものの、たゆまぬ製品開発とそのクオリティとサウンドには揺らぎのないMcIntoshは、あの特徴的なブルーアイズメーターとグラスパネルと共に、これからもオーディオファンの憧れのブランドとして君臨していくことでしょう。